2014年06月17日   

福知山市猪野々の伝統的祭り

 京都府福知山市金谷地区猪野々では、毎年秋に五穀豊穣を願う伝統的な祭礼がおこなわれている。この祭礼は中学生以下の子供たちが中心となって行われている。中学生二年生の3人が大太鼓、小学三年生の3人が小太鼓をたたき、小学三年生から中学生が横笛を奏でて、二宮神社に奉納される。小学三年生より下の子供たちは屋台を引っ張って歩くのを手伝っている。60年ほど前は子どもの人数が多かったために太鼓や横笛を奏でられる人数が限られており、その役割は人気があった。ここ数年では少子化の影響によって太鼓のたたき手がいなくなりつつある。男の子が役割を担っていた太鼓も女の子もするようになったり、昨年太鼓をたたいた子どもが翌年も行ったりしている。横笛は人数が減少したために音量が小さくなりその迫力が出なくなっているため、子ども達といっしょに大人達が横笛を奏でている。


二宮神社



 この祭礼りの起源は江戸時代にある。当時、飢饉を逃れたことを喜び、三岳山ろくの御勝八幡宮に近郷近在四十七カ村が太鼓を引いて集まり、境内の石段で太鼓を打ったのが始まりとされている。かつては集落ごとに打ち方があったのだが、常願寺でたたかれていた太鼓に統一された結果、現在にまで継承されてきた。しかし、過疎化や少子化の影響によって奉納太鼓を続ける地区は減少してきている。福知山市の金谷地区でも盛んに太鼓がたたかれていたが、今では猪野々地区のみとなった。


踊りの奉納をする子供たち



 練習は毎年、祭礼が行われる2週間前から猪野々地区の公民館で夜間に2時間ほど行われている。大太鼓や小太鼓は地元の経験者である大人たちから教えてもらっている。大太鼓の打ち手は踊りで覚えることが多く、毎年必死に頑張っている。横笛は経験者の大人たちだけでは無く、年長組の中学生が中心となって小学生に横笛の吹き方や曲を教えている。小学生の横笛の子どもたちは曲を覚えるために楽譜を家に持ち帰って練習をしているために各地でその音色が聞こえてくる。太鼓や横笛をしない子どもたちは保護者たちと共に祭で地域の人たちに配られている短冊の作成をしている。練習は1週間が過ぎると太鼓と横笛が音を合わせ始める。練習の合間には1度だけではあるが、全員で集まって食事会が行われ子どもたちも楽しんでいる。



 祭礼が行われる10月の第2日曜日は太鼓をたたく子どもたちは化粧をしたり、衣装を着る等の準備のために朝の5時から公民館に集まっている。化粧や着付けを行うのは太鼓のたたき手の母親達が中心となって行っている。他の子どもたちは祭りのハッピを着て7時に公民館に集まり、1度練習してから二宮神社で最初の奉納を行い、約20箇所もの場所を一日かけて巡っている。移動の際には大太鼓が一定のリズムでたたかれ近くまで来たことを周辺の住人に知らせている。数カ所を巡るごとに地域の人たちが子どもたちのためにお菓子やジュースなどの飲み物を用意して休憩ができるようにしている。この休憩が子どもたちの楽しみの1つだ。獅子舞や天狗の格好をした子どもたちがいて地域の人たちと触れ合っている。演奏は1回に付き約10分ほどの長さで行われているが、1日中歩き回っているため太鼓の担い手には体力が必要とされている。巡礼の最後には二宮神社に再び奉納を行い終了として、一旦解散としている。その夜には子どもたちをねぎらうために夕食会として焼肉が公民館で振る舞われており、これが子どもたちの一番の楽しみである。



 京都府福知山市猪野々で行われる五穀豊穣を願う祭礼は江戸時代から続く伝統的なものである。この祭礼は猪野々地区の住人に親から子へと引き継がれてきたものだ。子どもたちが主役となり、大人たちは子どもたちが精一杯頑張れるように手助けをしている。中心となる子どもたちは約10年間にわたって参加し続ける。この祭礼では地域の住人と子どもたちが交流を深めることができる数少ない行事だ。地域の大人たちはこの奉納太鼓を見ることで子どもたちの成長を確かめることが楽しみとなっている。しかし、この伝統的な祭礼は過疎化や少子高齢化によって失われつつある。



踊る子供たち



屋台








地図はこちら



1975年8月25日の京都府福知山市猪野々地区

出典:国土地理院の基盤地図情報


2005年5月17日の京都府福知山市猪野々地区

出典:国土地理院の基盤地図情報




福知山市土地利用構想図




福知山市都市計画総括図




<参考文献>
LaSanka 地域密着ニュース
両丹日日新聞2008年10月14日のニュース



Posted by cata at 13:53 Comments( 0 )